薄れた頃にやってくる

 

ちょ〜〜〜久々にブログを書く。

基本、メンタルへこみ気味のときに書いてる気がするので、今回ももれなくそう。

 

 

今年に入って自分も知ってる芸能人の自殺が、記憶してる例年と比べて多いと思う。

新型ウイルスによる影響は計り知れないものなので、それなのか、はたまたあまり関係のないものなのかはわからないけれど。

 

 

ただね〜自殺っていうのはそういう次元のものではないのでしょうね。

自殺した人の気持ちは自殺してない人には分からないし、というかそもそも他人の気持ちなんて理解できるわけないし。

 

もしかしたら、今うれしいのかもとかかなしいのかも、みたいな、大雑把な感情は把握できるかもしれない。

でもやっぱりわたしはそれもエゴなのかなと思う。わたしがそういう風に相手が思っていたら良いな、という希望的観測。

 

なんて悲観的なのでしょうね。

自分のことはかわいいけれど、自分の痛みに気付くのはいつだってワンテンポ遅いのに、他人に痛みが発生してるかも、みたいなことにすごく怯えてる。傷つけたくないもん。

 

 

たとえば有名人が亡くなったときに、その知り合いの人がSNSで追悼?してんの見て、どんな文化でもそういうのあるのかな〜って。

なんていうか、他人の死を売りもんにしてんじゃないわよ、みたいな感覚で見ちゃう。死んじゃってるからさ、もうその人はその投稿を見ることないのに、どういう目的なわけ?って。

 

 

いやわかってるのよ。

それで自分を救いたい人もいること。

他人の死が受け入れられない、別に病気で死んだわけじゃない、しかも自殺となれば、なんで?わたしといた時間はあなたの癒しにならなかったの?みたいな。

まあ、それも気持ち悪いエゴよね、それは置いときましょう。

 

 

実際、わたしも学生時代の友人が自殺で亡くなったとき、あまりのしんどさにどうしたら良いかわからなかった。

だれかに伝えることすら、できなかった。事実を受け入れることがまったくできなかった。

2日前にR指定の話したやんお前、みたいな。こんなクソしょーもない話が最後ってヤバくね?って。

 

 

死なんて突然なのですわ。それも理解してるはずだったんだけど、理解できてるからなんですか?ってのが現実だよね。

 

 

ということで、わたしはここでその友人の思い出の写真を公開したいと思います。

なんか目を瞑るのも嫌になってきたのよね。iPhoneの謎機能マジfuck。なにが2年前の写真です、だよ、勝手に出すな。

 

 

 

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これは卒研終わりましたヤッター!飲み会の写真。ピッチャーできたビールの残りをそのまま飲むあたおか振り。秋田の男こわい。

 

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これはわたしの好きなカフェに行ったときの写真。互いに別々で注文してすべて一致してたので運命?うちら付き合わない?ってなった。彼女いたので丁重にお断りされた。

 

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これは国家試験終わって即飲みに行ったときの写真。

またこの人はビール大盛り飲んでる。2年生の時に、乾杯のビール飲みきれなかった赤ちゃんなわたしを助けてくれたことを思い出した。いまや立派にビールたくさん飲めてるよ。

 

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いつもビール持ってんなこいつ。

これは卒業式前になぜか新宿で飲んでた時の写真。

 

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卒業式の写真だ〜。わたしのマフラーのぴらぴら出てるのダサい以外は完璧。仲良し3人だったのよ。

 

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卒業してわたしは院生、友人は社会人になったのですが、すぐに会うという。あれ、わたし卒業式で会えなくなるって泣いたな〜?

 

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職場の野球部に配属されたらしく、バッセンになぜか付き合わされた。ご覧の通りうんちでしたので、頑張って〜という感じでした。

 

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0次会ってのをよくしてたんだけど、そのときの写ルンです。フラッシュたいて怒られた記憶ある。

 

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酒ばかりだ^_^

ここは我々の聖地なのですが、この日職場の勉強会があったのにサボってわたしと飲んでたときの。「俺といることツイッターにあげんで、(サボったの)バレるから」と口止めされた。

 

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ダイナマイトキッドというアルコール度数高い飲み物を嬉々として買ってきた泥酔ボーイ。

 

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院生の友人たちと鍋二郎してたときに麺を茹でた。わたしは眠すぎてあんま覚えてない。

 

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最後の2回前くらいに会った時の。遡ってみると、どんどん期間があいてる。

 

 

最後に会った時の写真はなかった。

餃子を食べた記憶があるな〜。父親が死んだことを初めて友人に話した。

 

「半年経ったら平気になろうとか、忘れるとかそういう必要はない」

と言ってくれた。友人を好きだったのは、そういう優しいところだったのだと思う。

 

 

 

写真、撮ってて良かったな、といま少し思える。そうなって良かった。意味があった。

 

 

これが正解、わたしを救ってくれてありがとう。記憶や言葉が残された者にとっての救いなんだね。

冬の日

ようやく痛いくらいの寒さがやってきた。今年は暖冬だ。ガチの防寒をしていない気がする。

 

先週から今週にかけて、風邪を引いてしまったが故、あまり外出しなかった。外で飲み食いすることが結構あるので、直帰の日々が続くのは久しぶりのような気がする。

家にいるとすることがなく、早めに床につく。否、外出していてもただお酒を飲むことも何もすることがないに等しい。時間を浪費していると感じる。

 

職場のものだけでなく、学生時代に残してしまった仕事をしている。正確には残したままでも良いのだが、所属研究室の教授の退官の時期が迫っているため、卒業したわたしがすべきだと個人的に判断し、わたしがやると言った仕事だ。

研究というのは、ほんとうに難しいことだ。ただ手を動かしデータを出すだけなら、誰でもできるが、それは研究ではない。実験だ。それを価値あるものに変えていくこと、それが研究である。ゴミでも組み合わせによっては価値あるものに変えられるが、研究者の研究者としての素質がないと、価値あるものもゴミに成り下がる。

 

わたしはとことん研究に向いていないなあ、とおもう。学生時代から感じていたことだが、新しいことを知ることは好きでも、自ら開拓していくことは不得意だ。何かを調べて知識を蓄積していくこと、それは研究ではないのだと気づいていたものの、いつまでたっても自分の力で新たなものを見つけていく、ということをしなかった学生時代だった。

 

簡単にいうと、今日自分のできなさ具合にガーンってなったってこと。わたしには才能がないなあ、と悲しくなった。職場でいい気になって仕事できるつもりでいたけど、全然できてなかったことの裏付けにもなった。恥ずかしい。謙虚に生きねばとおもう。

 

 

 

今日は外に出かけて、読書をしていた。

とても寒いと聞いていたので、防寒したのだけれど、外を歩いていたら背中がホカホカしてきた。すこし遠くの古着屋さんに歩いて行こうとおもったけど、これでは汗をかいてしまうとおもい、バスに乗ることにした。

仙台は程よい田舎であるため、バスを結構待つことがある。今日もバスを待ってたけど、来る気配がなかったから、鞄から本を取り出した。読んでいた本は小川糸さんのツバキ文具店である。

季節ごとで太陽の光の感じが違うとおもうのだけれど、冬は鋭い白、って感じがする。その冬の光に照らされた文面が、とても綺麗だった。ちなみにツバキ文具店、わたしは5回くらい泣くのを堪えたので、皆さんもぜひ手にとってみて。よければ貸します。

 

今、くるしくて目を背けたとしても、わたしは必ずやり遂げる女なので、またがんばってゆこうとおもう。謙虚に生きるのも忘れずに。才がなくとも、日々すこしずつ前に。

12月を師走といえば良いとおもってるでしょ

この師走という言葉、非常に年末感があってすごいとおもう。たった2文字だけで人々が駆け足にその年を締めくくろうと、色々なことを処理してゆく姿が思い浮かべられる。

 

は〜。とんでもない一年だった。

社会人になってしまうし、ばあちゃん死ぬし、親父も死ぬし、マブダチも死んで、マジわたし死神では?ってなんかこわくなっちゃった。いや、わかってるよ、人の生き死ににそういうナニカは関わらないって。わたしのせいじゃないけど、なんかわたしが良くないもので、他人がそういう不幸な目に合うのって、すごく居心地が悪いもんだよね。

 

身近な人間の死って、死んで間もない時は色々なことを考えて、自分自身に何かしらの変化が起きるイベントでもあるとおもってたけど、半年以上経ってみて、所詮わたしはわたしのまんまだなっておもった。

「大切な人たちを大切にする」ってのも、わたしの気分に浮き沈みがあって、それに左右されてできない時がある。自分をコントロールするのが難しい。もっとつよくなりたいとおもうけれど、何を意識したらつよくなれるのだろう。

 

そうそう、わたしは「つよさ」への憧れが幼い頃からあって、理由は己の正義感なんだろうとおもう。セーラームーンみたく悪者倒したかったし。空手習ってた時は物理的にパワーほしかったし。いまはこのへなちょこなメンタルを金属製にしたいし。

実際のところ、わたし一般以上にメンタルはつよいとおもうんだけど、それじゃ足りないってこの先の人生考えるとおもうの。わたしは人に頼るのが下手だし、もしかしたら頼る人いなくてひとりで生きてゆく可能性だってあるし。

 

最近おもったことがあるんだけど、わたしってパートナーへの下心がすごいとおもうの。パートナーなんだから、わたしが大変って時は癒してほしいし、いつでもわたしの味方でいてほしいし、みたいに尽くしてほしいって気持ちが本当につよい。いや〜実際はそうじゃないんでしょ、わかってますよ。知ってることとおもってることの乖離ってなぜ生まれるんでしょうね。

 

一昨日、仲良しのおじさんに「わかばちゃんは人見知りで、サシで誰かと飲みに行くとか本当にむずかしいんだよね」って話された。うわ〜おっしゃる通りでキモ!

サシで飲むことの大きな不安は、その場が持たないこと。会話が途切れた時の空気とか、自分がから回った時の気まずい感じとか、全体的に耐えられないのね。へなちょこなので。

それと実際に大きな問題として、わたしの他人への関心の薄さがあるとおもう。わたしが他人にあまり関心持たれたくないっていうのが前提にあるからなんだけど、他人がどんな仕事してるとか、何が好きとか、恋人がいるかとか、そういうのにあまり興味が持てない。というか、それを聞くのが少し恥ずかしい。すごいコミュ障では?ちょっと自分でもこわい。

 

 

すごいこの文章。起承転結じゃなくて、起転転転って感じ。わたしの頭ん中いつもこんななのかなあ。

 

それではみなさん、良いお年を〜。

感情というものの所在

早くも10月が終わる。新たに仕事を覚えてからは、とてもあっという間に日々が過ぎてゆく感じがする。忙しいと昨日とそのまま同じ1日を過ごしているような感じがする。

 

仕事を覚えた、ということ自体は自身の価値が高まったことに違いないのだが、それはあくまで職場での価値であり、わたし個人としての価値が上がったと言えるのか?という疑問が出てくる。仕事をしているわたしもわたしであるのだから、歳を重ねて、仕事を覚えたり教える立場ともなれば、それは無論わたし個人の価値も高まったと言えるのだが。なんだか腑に落ちない。難しい。

 

 

わたしの口癖のようなものになっているもので、「かなしみはいつでもわたしだけのもので」云々がある。

これはかなしみだけでなく、すべての感情に言えることで、わたしが感じるすべては、等しく誰にも感じることはできない 。あの時うれしかったことも、悔しかったことも、なんだって誰にだって1mmもわかるはずのないことだ。

ことさらに「共有」や「共感」は友情や愛情、おしなべて人間関係を語る上で重要なファクターであるが、なぜそれが重要なのだろうか。共に泣き共に喜び、といったワードも卒業式の答辞や聖書にすら登場するが、この「共に」ということへの重さがひどい。

 

わたしも分かっているのだ。丸ごと誰かの感情を知ることが「共有」ではないことを。誰かが喜んでいる様が自分にとっても幸福であること、そのメンタリティが崇高であるのだろう。それも分かっている。事実、こうしたら相手は喜ぶだろうと踏んで何かアクションを起こすし、かなしませたくないからそういうことはしないとか、そういう配慮をする。ただ、これは経験的に知っていてすることであり、自分に不利益がないように、という打算があるからしていることなのだろうともおもう。

 

多分だけど、わたしと深く関わっていこうとする人は、わたしと同じなんだとおもう。きっと嗅ぎ分けて「この人は共有がわからない」ってみんなわたしとはそこまで仲良くなろうとはしないんじゃないかなとおもう。

それで良くて、わたしには知られたくないことが沢山ある、踏み込まれたくない領域が案外そこら中に散在している。安易に踏み込ませて困惑するのは、相手の方なのだ。共感させてあげられなくてごめんね、って、なんだか気持ち悪いけど、それがわたしの在り方なので。

 

 

これが一般的にいう「拗らせ」なのだろうか。ま、拗れてるのは確かだよなあ。難しいね。

 

学生時代にしてた仕事が頓挫したのでここで日の目を見させる

いつも暗い文章を書いているでお馴染みのわたしです。

パソコンのデスクトップが汚い(フォルダを作らずにいる)から、整理しようとおもってたんだけど、学生時代に少しだけ大学の仕事をしていて、それが結局大学側の担当者の都合で頓挫したので、ここにupしようとおもいます。

学生時代の仕事といっても、リケジョをもっと増やそう!みたいなコンセプトの仕事で、一応理系大学院生だったからそのような仕事をしてました。

 

で、頓挫したのはあるメディアに投稿しようとしてた自分の分野に近い内容の書き物で、人に伝える、自分の分野外の人たちにもなるべくわかってもらおう、みたいな意識を生ませてくれたのはこの仕事だったので、それをこのまま死なせるのは少しかわいそうなので、ここで日の目を見させようとおもいます。

 

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祝!ノーベル生理・医学賞受賞の本庶先生の開発した抗PD-1治療薬「オブジーボ」が実際に使われるまで20年?

 

 

(自己紹介文)〜わたしは大学院で「乳癌治療」について、in vitro(試験管内の、という意味のラテン語、つまり細胞レベル)で研究を行っています。

 

さて、2018年10月にノーベル賞が発表されましたが、生理・医学賞を受賞された本庶佑先生が見つけたPD-1は、がん治療において新しいジャンルである免疫療法を生んだ革新的な「免疫チェックポイント阻害薬」の開発に繋がりました。

がん治療は手術による切除、放射線治療、化学療法の3本柱で何十年も行われてきました。そこに新たなジャンルとして登場した免疫療法は、わたしたちのカラダが持っている免疫力を、がん細胞が生き延びるために低下させている原因を解明し、その免疫力を薬剤によって元に戻してがん細胞を壊滅させることが目的の治療法です。

前者3つががんを物理的に取るか、直接外から攻撃して殺すか、という戦法を取っているのに対し、免疫療法はわたしたちが持っている免疫力をがん細胞が低下させているのを、抗PD-1治療薬「オブジーボ」などの免疫チェックポイント阻害薬によって高めて、わたしたち自身の免疫力でがん細胞を殺すという2段戦法を取っています。これは本当に画期的な発見であり、今後どんどんこの免疫療法に用いる新薬は開発されていくだろうと考えられています。

 

みなさんはオブジーボが実際の患者さんに投与できるようになるのに、どのくらいの年月がかかるのかご存知でしょうか?

まず本庶先生とその研究グループがPD-1を見つけ、それを発表したのは1992年、その後1999年にPD-1ががん細胞が免疫から逃れるために利用しているシステムだと解明され、それをターゲットにする治療薬の開発が始まりました。

そして、オブジーボが販売開始されたのは2014年です。つまり、PD-1発見から20年、その治療薬を開発して実用化できるまでは15年間かかったということが分かります。

この新薬開発というのは、様々なステップを踏むほか、薬ができても既存の似た作用の薬よりも効果がなければ、日の目を見ないという、超激ムズ関門をクリアしないと新薬として実際に患者さんに投与されないのです。この激ムズ関門は「臨床試験」(治験)といい、治験には複数のステップが存在しています。

治験は3ステップあり、健康な人に投与して副作用が酷くないか?→少人数の患者さんに投与してみて効果があったのか?→大人数の患者さんに投与して効果があったか?という順番で行われます。そもそもなぜ時間がかかるのか、というと、「この薬は効果がある」と主張するためには、患者さんがどれくらい長く生きたのかを評価するのであれば、(病気の種類によりますが)長く時間がかかってしまうという理由があります。それぞれのステップごとに長くて5年くらいかかることもあるため、新薬が世に出るまで非常に時間もかかるというわけです。

 

また、新薬開発には莫大な資金も投入されます。治験を進めることにもお金はかかりますが、実はその治験の前段階、「非臨床試験」においても資金は多くかかります。この非臨床試験は、新薬候補をまずin vitro(冒頭でも述べたけど、ラテン語で”試験管内で”という意味、つまり「細胞を使って」ってこと)レベルで探し当て、その後にマウスにその新薬候補を投与し、病気の状況が改善したかどうかを調べることを言います。うちの大学の医学系研究科で創薬研究をしている研究室では、このような実験をしているイメージですね。

なぜその人に投与する前段階の実験でお金がかかってしまうのか?という点ですが、わたしが大学院で研究していても感じることで、実験に使う試薬や道具というのは、全くもってお財布に優しくない値段であるため、それを新薬候補である”種(seeds)”を見つけるところから始めると、もう本当にお金がかかるだろうな、というのは想像に容易いです。そして時間も沢山かかる、かからないわけがない。

余談ですが、だから本庶先生も大隅先生も「基礎研究にお金をかけなければならない」って言っていたんだろうな、と思います。ほとんどはin vitroレベルの基礎研究から始まるといっても過言ではないです。トライアンドエラーを繰り返し、種(seeds)である当たりを見つけるのは本当に骨が折れることです。その当たりがひいては、全人類に利益を運ぶ可能性だってあるので、ギャンブルな資金投入だとしても、研究者たちを信じてもらわなきゃ困るんだ!という風にイッパシの理系院生は思うのです。

 

今回はオブジーボを例に、新薬がわたしたちの手元に届くまでをお送りしました。時間とお金がかかることだけでも知ってもらえたらうれしいです。

 

 

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どう考えても、理解できなくない?笑

難しいよね、噛み砕き方がわかんないんだわ〜って感じでした。でもこう、わからないをわからないままにせず、自力で調べていく子たちには何かのキッカケになってほしいなって、ワガママだけど願っていたんだな〜。

実際、自分のしてた研究には愛着があったし、いい研究だなってのもおもってたので、こういう感じで文章にして伝えてみようっておもったのでした。

おしまい。

心が安まるような夢を見るなら

秋だ。

仙台は朝、フリースを着ないとほんとうに寒いほど気温が低くなってきている。まあ、わたしが6:30に家を出るからあまりに寒いのかもしれない。あと原付に乗るので寒い。

 

秋は好きな季節だ。視覚的に分かりやすく秋だとわかる。香りも金木犀があれば秋だと認知できる。

そういえば金木犀のコロンはなくなった。あの香りは少しわたしらしく、なんだかとても良い思い出がある。いまはaesopのtacitをつけているけど、わたしらしくなくて、もうつけるのをやめようかとおもうけど、高かったので使い切るまで、とおもっている。

 

涼しくなってから、わたしは夏寝不足だったのだ、ということがわかった。

非常によく眠れている。わたしの部屋にはエアコンがないので、夏は窓を開けて寝ていたけど、暑苦しさで目が覚めていた。疲れが取れないと感じて、夜8時にはベッドに入っていたのもおそらく寝不足のためだとおもう。

よく眠れている分、なんだかよく夢を見るようになった。しかもしっかりと覚えていることが多い。

 

一昨日はラッパーのjjjが夢に出てきた。すごく優しくしてもらえたので、とても心が健やかになった。

 

昨日は、初めて死んだ友人が出てきた。夢の中ですらわたしは「ああ、夢なんだな」と気づいていた。夢の悦に溺れていなく、しっかりと現実を知っていた。

わたしのカメラロールには友人の写真が意外と多く残っていて、学生時代、ほんとうによく一緒にいたんだと実感した。

写ルンですでライトを焚いて撮ったら「眩しい」って文句言われたことを思い出した。ピッチャーで来たビールをそのまま飲んでる様子を見てわたしは「この人ほんと飲みサーの人じゃん」っておもって引いたのを思い出した。オープンキャンパス終わった帰りに、オープンキャンパスのtシャツ着たまま二郎に行ったら、二郎の店主さんに「そのtシャツ何?」って聞かれたのを思い出した(ダサかったもんね)。食堂で東南アジアの留学生が持参してた彼らのソウルフードエスニックな香りに具合悪くなってる姿を思い出した。SNOWで写真を撮ってたら、隣の席の見知らぬ人にもフィルターがかかって大笑いしたのを思い出した。

 

思い出がもう積み重ならず、少しずつ記憶から消えてくことを知っている。

だから勝手に虚像を作り出して、夢の中に出て来させているのを知っている。

彼は年を取らず、わたしだけ年老いていくのを知っている。そのギャップはずっと広がっていく。

 

秋は好きな季節だ。余裕などいらないのに、勝手に生まれてくるくらい、秋はわたしを落ち着かせる。

秋をきらいにならないで。

時間を考える

昨日、東京からの帰りの新幹線でブログを書こうとおもっていたのに、出張報告書を書いたり、論文を推敲したりしてたら、いつのまにか仙台に着いていた。

1時間半なんてすぐに来てしまうのだなあ、とあまりにバカな感想を抱いた。

 

仙台から地元まで30分在来線にゆられる。30分の間にもブログは書けたけど、SNSのチェックをしていたら最寄りまで残り5駅くらいになっていた。

30分はもっとあっという間だ。

 

ちなみにその5駅分は穂村弘の食べ物に関するエッセイ本を読んだ。

いま現在読んでいる時点で、妻が不在の日にお惣菜を買った話と、最近の若い男の子は料理をしている話が面白かった。

前者は野菜を摂取するために肉じゃがの「にん」だけを取った話で、後者は若いカップルがおいなりさんを持参してきて、女の子が「これ彼がつくったんです」って自慢げに言ってきたという話。なんかちょっとキモです。

 

ちなみにわたしの個人的な見解だけど、おいなりさんを作る男など信用してはならないとおもう。

きっと「ぼくのおいなりさんも食べて」って言ってくるに違いない。

料理のできる男というと、なんだかポイントが高い風潮だけど、中性的であるのに女に媚びているのがわかると、異様な男性性を感じてキモになるんだよなあ。気をつけてほしい。

 

 

そうそう、今年わたしにはかなしいことが3つ起きたわけだけど、その分たのしいことがあるよ〜的なのは全くおもっていません。

あの日々を思い出したりしてて、案外まだべそかいてるので、そりゃ〜簡単にへっちゃらになるなんてことはないもんなあ、と。

あまり人にプライベートなことを話すようなタイプではないので、自分の中で完結させようとしているから時間がかかるのかもしれない。

本来は大切な人ほど、わたしの身に起きたことを話すべきなのだろうけど、わたしは自分の身の上話で誰かを困らせることが苦手だとおもう。不幸自慢のようで、誰かに哀れんでほしくて、というような印象を持たれたくないのだとおもう。

自分を理解してほしい、というのとは別で、かなしみを誰かと共有するべきでないというのはわたしの美徳であるとおもうし、身の上話でわかるわたし像など本質ではないので、やはり不要である。不要は言い過ぎか。

 

 

なんか目が痛くなってきたので、ブログはここまでにする。

さっき玉ねぎみじん切りにした時から目が痛かったんだ。