丁寧に生きる


丁寧に生きるとはなにか、きのうの帰り道、歩いているときも電車に揺られているときも考えていた。


まず丁寧、という言葉はすごく丁寧って感じがする。 アホなことをいっているのは、自分でもわかってるんだけど、ニュアンスが伝わらないかな…。

とりあえず、こうやさしく、ふんわり包むような感じが、この言葉には備わっているなあとおもった。


次に丁寧な生き方とはなにかと考えてみると、簡単にいえば、ゆとりをもって生きることなのかなあ。

早起きして朝ごはんをホットサンドにしてみるとか、はやめに大学に行って珈琲を淹れておくとか、好きな和菓子屋さんに寄って帰って母とたべるとか。

時間にゆとりをもつということ、その日のスケジュールの組み立てをうまくしなければ難しいことで、なにかひとつでも狂えば、丁寧さは失われてしまうような気がする。 むずかしいものだ。


言葉のニュアンスの方に戻るが、やさしく包み込むような、という感じを生活に求めるには、それなりのデカさが必要で、そのデカさというのがつまるところのゆとりとか余裕ということになるのだろう。

なにか狂いが生じても動じない心とか、すぐに補える力とか、そういう部分を養わないと、日々を丁寧に過ごすというのはできないんじゃないかなあ、とおもう。


それだけの話でした。ちゃんちゃん。