天邪鬼がずっと進む

わたしは天邪鬼だ。かつて好きだったものが周りのみんなも好きだと言い始めれば、わたしはもう好きではなくなってしまう。あれ、これって天邪鬼ではないような。

 

例えばわたしは金木犀の香りが好きで、コロンを購入して嬉々として首筋につけていたが、インフルエンサーあたりがそれをバズらせれば、もう違うと思ってしまう。まるで多くの人に気付かれていないことが価値であるような。実際そうなのではないかと思う。

珍しいものが好きというわけではないし、わたしにもミーハー的要素は多分にある。わたしが好きなものも、所詮誰かの二番三番四番煎じだ。それでもなんだか人の目に晒されると一気に萎えてしまう。ダイアモンドの原石のようなものが好きなのか。磨けばだれもが欲しがる、でもわたしは磨く前からそれを知ってたのよっていうマウントを取りたいのか。おそらくそうではなく、だれにも見つからずに愛でていたものが多くの人のものになることに耐えられないのだろう。嫉妬と似ている。わたしだけのものであったのに。そんな自分勝手なヤキモチのせいだ。

 

わたしは前から周りのみんなが良い、と思うものから避けて生きてきた。中学生の頃、RADもBUMPも聴かなかったし、流行りのギャル系のファッションブランドにも手をつけず、みんなが行ってたスタバにも行かなかった。

それよりも星野源が「首筋の匂いがパンのよう すごいなって 讃えあったり」みたいなよくわからない歌詞が好きだったし、ne-netの変な柄のパンツを履いたり、田舎の在日韓国人が営む喫茶店のキムチチャーハンを食べていた(辛さの奥の旨味や甘味がパネエんだよ)。

ne-netは置いといて、星野源は今やスーパーアイドルだし、田舎の喫茶店に足を運ぶ人も増えた。やっぱり悲しくなってしまう。周りでわたしだけがその魅力に気づいてたのに、そうやってわたしの居場所を奪ってくのね、って。ほんとうなら、べつにだれが何を好きだろうが、自分が好きならどうだっていいはずなのに、そういう変な被害妄想のせいで自ら肩身の狭い思いをしている。リストカットしてるメンヘラと同じ。要因を作ってるのは自分、そう、敵はわたしなんだ。

 

自分の性格を偏屈だと捉えたことはないし、拗らせたとも思っていない。でも周りがそう評価するなら、それが真なのではないかもしれない。でもわかってないな〜って思う。わたしは素直なままだし、どこかの時点でこうなったんじゃなくて、前からこうだったんだよ。