シティガールに憧れて

わたしは東北生まれ東北育ちで、中学から政令指定都市(つまりそこそこ都会)にある学校に通っていたが、住んでる場所は郊外の港町である。わたしが使う言葉には濁音が多めに混じっていて、関東出身の友人に「?」とされる方言も自然と出る。

 

わたしは田舎者だ。

 

田舎といえども、交通手段はバスや自家用車しかないといったような限界集落というわけでなく、交通手段も充足していてそこそこの流通があるため、典型的な田舎ではないだろうとおもう。ただ、田舎であると感じる原因は「人」だ。

わたしの住む地域では、同級生たちのほとんどは高校を卒業して働き始める。大学進学組は1割程度といっても過言ではない。大学に通った同級生は、頭が良い and/or 家が裕福という条件を満たしている。彼ら/彼女らは地元で仕事をして、早めに結婚をして家庭を築く、それが最も多い人生設計だろうとおもう。

わたしの町では世間では一般的とされる大卒ですら異質であるため、そこから更に大学院に進学した時点でそれがわたしの性質となる。異質であれば、なんとなく敬遠される。

 

いまやSNSが発達し、田舎に住んでいようとネット回線がつながっていれば情報は手に入る。首都圏や関西の友人も簡単に作れる。良い時代に生まれたとおもう。

わたしは容姿と反して、ヤンキー文化を好む傾向にある。田舎は不良が多いし、彼らが人間関係におけるピラミッドの頂点にいた。わたしは途中で地元の人間と隔離され、遠方の中学に進学させられたが、潜在的には憧れがあったのかもしれない。だから彼らのエッセンスを取り入れる準備は整っていて、そういう文化を好みやすいのかなともおもう。

その容姿と反したヤンキー文化の傾倒(は大袈裟だけど、他に表現が見当たらない)にわたしの周りのガリ勉気質の人の中には拒絶する人もいる。変わった子、として認識される。でもそれは、少し前のわたしも自分と異なる性質の人間たちの文化は低俗だと思っていた。それと同じかもしれない。

だからこそ、SNSがあって良かったとおもう。わたしにはわたしを受容してくれる人がここにはいないけど、遠いところにはいるのだと分かる。高学歴でもhiphopを聴くし、高卒でも院進したことをどうもおもってない。SNSで見せているものが、実際とは異なるというかもしれないが、それはいま面と向かって話している相手に見せているものも本物とは限らないから、案外変わらないのではないだろうか。

 

田舎では、じぶんと違うことへの拒絶に頻繁に遭遇する。マイナな人間への風当たりは一向にやまない。

わたしは高卒というマジョリティから外れた大学進学というマイナの中へ、大学の中でも彼らの好む文化ではなく別の文化を好むことでマイナとなり、ベンズの図を描けば共有部分の中に含まれる人間が、わたしの周りには圧倒的に少ない。

 

都会に出れば、わたしと同じような人間だって多くいるだろうとおもう。わたしと同じでなくとも、わたしと同じくらいマイナである人もいるだろう。都会は、異質と異質が共存しているし、そしてそれを異質と呼ばない世界だろうとおもう。

わたしがシティガールに憧れたのは、わたしを変なモノと扱わない環境がうらやましいからなんだろうとおもう。わたしの中身を知る前に、わたしに標識を付けて縄張りに入れないようにする環境とは違う。わたしの好きなものが勉強でもスカジャンでも、どうでもいいよ、っていってくれる場所は田舎ではなく、都会だ。

 

それでもわたしは都会へ出ない。家庭の事情が、という言い訳はしたくない。行きたいのであれば、家など捨てて出れば良い。

でもわたしはそれほどの覚悟も持てない。都会に出たところで、ほんとうに受容されるか結局は分からない。知るために身を投じるほどの余裕もなく、リターンが得られないかもしれないという賭けができなかった。

所詮、わたしの承認欲など一過的で、刹那的に蝕まれたような幻覚を抱いているだけなのかもしれない。どうしても欲しいのなら、きっと探し求めて田舎から出ていく。

そして、わたしは田舎を嫌いになどなっていない。

 

 

 

と、ここまで書いたんだけど、飽きちゃった。おしまいにします。